ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

死もまた正常

総合人間研究所所長
早川一光
人さまの枕元に臨んで60年―。今まで語ってきましたように“人間の生病老呆”の姿を見つめてきました。
そして今日のテーマのように、人間の死―わかれ―の床に臨んでまいりました。
人間って生まれる時は、ほぼ同じような姿で生まれてきます。
大小の差こそあれ、だいたい同じ位の身長、そして体重でこの世に出てきます。
また、出てくるところも、皆、おなじような場所を、2―3時間かけて現れてきます。
それも、みんな“裸”です。
たいてい、頭から…、時々、足から…、あの暗い暗い一本道を、“ちょうちんもつけずに”くぐり出てきます。
もう少し広ければ、みんな楽に出てこれるのに! と思いますが、みなきまっています。
けど人間って、死ぬ時は、ひとりひとりその“死にざま”がちがいます。
その人ならではの“別れ方”をしていきます。
年齢がちがいます、場所が異なります、時間もまちまちです。
死に至った原因が、また全くちがいます…。しかも別れざま≠ェ、全部さまざまです。
しみじみと…、そのお人の生きざまが、死にざまをつくっていきます。
ケチに生きてきたお人は、ケチに死にます、イジワルく生きてこられたお方は、みんなにイジワルくされて息をひきとります。
惜しまれて死ぬ人―、やっと死んだかと枕元で言われるお人―。
人生いろいろ、人いろいろです。
それをジーッと見つめて
死ぬということは、実はその人の生きてこられた姿なんだと、身の引きしまるような気持ちで見つめてきました。
いずれ、私もと思うと、反省しきりです。


はやかわ かずてる氏 1924年愛知県生まれ。
京都府立医科大卒業。50年、西陣に住民出資の診療所創設。その後、堀川病院に発展し、院長、理事長を歴任。南丹市美山町の診療所長も務めた。著書に「わらじ医者京日記」など。