ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ものは考えよう

PHP総合研究所社長
江口克彦
 ものは考えよう、とはよく言うけれど、松下幸之助の話を聞いていると、なるほどと妙に納得することが多かった。
 松下は小学校もろくに出ていない。9歳の時から丁稚(でっち)に出て火鉢屋、自転車屋と奉公し、15歳のときに大阪電灯会社へ就職する。その就職するまでの数カ月、大阪築港のなかにあるセメント会社でアルバイトをする。通勤は「ポンポン船」である。
 ある夏、帰りの船で船べりに腰をかけていると、その船べりを歩いてきた男がちょうど松下のところで足を滑らせた。そのとき、その男が松下にしがみついたからたまらない。2人とも海に落ちてしまった。まさに松下にとっては不運と言うほかない、と私は思う。
 しかし、松下は私に語っていわく「運がよかったわな、わしは」という。「うん?」と思いたくなるが、松下は、落ちたときが夏でよかった、多少泳げたからよかった、すぐに船が気付いて戻って助けてくれたと言う。まあ、そう考えれば不運と言うより、運がよかったとも言えるだろう。
 一事が万事、松下幸之助の考え方はこのような考え方が多かった。
 昔、大店(おおだな)で元日朝明けてみると、家の隅に変な黒いものが落ちている。主人が見つけて拾うとぞうきんである。元旦から縁起が悪いと激怒するやら泣くやら大騒ぎ。そこに近所の粋な人がやってきて、この話を聞くと、「それはおめでたい。ぞうきんを当て字に書けば蔵と金、あちら福(ふく)、福、こちら福、福」それを聞いて主人は「わあ、これはめでたい、酒を持って来い」と大喜びしたというたわいない話を聞いたことがある。
 物事は見方考え方によって180度解釈が変わる。どうせ考えるなら、ものごとを前向きに、明るく、次に幸運につながるような考え方をしたほうがよさそうである。


えぐち かつひこ氏 1940年名古屋市生まれ。
慶応義塾大法学部卒業。松下電器産業入社後、PHP総合研究所秘書室長、副社長などを経て2004年同研究所社長に就任。著書に「心はいつもここにある―松下幸之助隋聞録」ほか。