京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●コラム「暖流」
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。 人生の扉
この題を見て、竹内まりやの曲が浮かぶ人は、かなりの音楽通であろう。昨秋、偶然に一度視聴する機会があった。たった一度聴いただけなのに、曲と詞がこんなにも心に残り、共感を覚えたことはかつてなかった。
「春がまた来るたびひとつ年を重ね…」 「気がつけば五十路を越えた私がいる」 同世代の歌かなと耳をそばだてれば、50代になることはとてもすてきなことと歌は続く。 「満開の桜や色づく山の紅葉をこの先いったい何度見ることになるだろう」 「ひとつひとつ『人生の扉』を開けては感じるその重さ…」 桜と紅葉の雲錦模様は、あの年この年、共に景色を見た人との思い出により、彩りや印象が異なる。 母の車いすを押しながら、家族と燃えるような紅葉の永観堂へ行ったこと。最後の退院の日、家に向かう前に、満開の桜を見てもらおうと鴨川や高野川沿い、岡崎や川端を縫うように巡ったこと。「堪能したわ」と笑顔で喜んでくれた母はその10日後に逝った。酸素ボンベを片手に、今は亡き父をおぶい、お墓参りの階段を上ったことや紅葉の美しい温泉へ行ったこと…。親との別れの扉は、大きく、厚く、重く、そしてつらい…。 「ひとりひとり愛する人たちのために生きてゆきたいよ」 残されたものは、過去の記憶を心にとどめ、涙をこらえ、前を向いて、毎日を大切にしていきたい。家族や周囲の愛する人々とともに。「80代もいいもんだ。私は90以上生きるかもね」「長い旅路の果てに輝く何かが誰にでもあるさ」「弱くなるのは悲しい…生きるのは無意味という人もいるけれど、私は生きてゆく価値があると信じている」と歌は結ぶ。 人生半ばを過ぎた人は、一度じっくりと聴いていただきたいと思う。こどもみらい館の新年会で、同世代の人々と合唱した。上手下手は別にして、好評だったことを申し添えます。 あさの あけみ氏 1950年京都市生まれ。大阪医科大卒業。76年、京都市に入り、京都市立病院小児科に勤務。西京保健所長、南区長などを歴任。2003年、京都市子育て支援政策監就任。05年から現職。保健福祉局医務監兼務。
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