ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

死の準備教育について

精神科医 定本ゆきこ
 私が医者を志した理由は、実のところ、死に関心を抱いていたからに他ならない。本を読んでばかりの、不器用な文科系学生だった私が、あえて医学部に進んだのは、人が死にゆく時に、傍らにいて、手助けをする仕事をしたいと思ったからであった。

 医学を志すには一風変わった動機ではあったが、その後、ターミナル・ケアに出会い、学生時代から、ホスピスの現場に関わり、多くの貴重な学びをいただくことができたのは感謝なことだった。死と生は大きく隔たっているようで、実は一枚の紙の裏表、こちらもいずれ、間違いなく死にゆく存在であるという現実に向き合っていてこそ、死をみとる仕事は可能になる。自分の中にある不安から逃げないでいてこそ、相手の言葉に耳を傾けられ、最後までその人に寄り添えるのだと知った。

 その後、私は精神科医となった。精神的な極限状況という意味では、臨床の中で、共通するものを見る。特に、思春期の若者は、支えがなければ歩めない、意味や目標が見出せなければ生きていけないというような状態で出会うことがある。生きるということ自体が苦しいものであるだけに、死が意識されやすい時期だ。それを感じる時、とにかく生きていて欲しい、生きているだけでいいと、私は伝える。

 実に、生きとし生けるものにとって、死はいつか必ず訪れるものであり、本来自然なものである。あたかもないもののように目をそむけて忌み嫌ったり、否定し過ぎる現代社会の姿勢が、かえって徒(いたずら)に不安や恐怖を増幅したり、それが反転しての美化を招いてはいないだろうか。

 死の準備教育というものが提唱されている。日常に死をもう少し取り戻し、死の視点を持つことで、生を肯定し、自分らしく生き生きと生きることを教えるのである。確かに、死があるからこそ、生が輝くし愛(いと)おしい。いつ訪れるか分からないからこそ、今生かされている瞬間を精いっぱい生きようと思うのだ。意義深いものと注目している。  


さだもと ゆきこ氏 1960年岡山県生まれ。奈良県立医科大卒業。淀川キリスト教病院などの臨床研修を経て、京都大学病院精神科入局。91年から京都少年鑑別所勤務。著書に「子どもの姿と大人のありよう」「子どもの心百科」(以上共著)など。