ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

お地蔵さん



こどもみらい館 館長
浅野 明美

 「大文字」が終わったら、子どもたちの夏休みの最後の楽しみは地蔵盆。普通は23、24日にお祭りするが、最近は一番近い土、日とか。「うちとこのお地蔵さんは大日如来さんやし、ちょっとエラいのんやてぇ」。わが町内は友達の町内よりも遅く27、28日にお祭りした。

 半世紀くらい前は、紅白の幕の中に異年齢の子どもたちがあふれんばかりにひしめき合い、数珠回し、西瓜(すいか)割り、鐘叩(たた)き、福引…アッという間のにぎやかな2日間だった。お坊様のお参りの時だけは神妙だった…と思う。

 民家がビルに次々と建て替えられるにつれて潮が引くように子どもの姿がみられなくなった。その後わが町内は、大人たちだけで20年以上守り続けた。そしてわが娘誕生後は、たった1人の子どものための地蔵盆が十数年続き、また大人たちだけの地蔵盆が現在続けられている。ビルが増えたためか、お守りする大人たちの人数は少しずつではあるが増え、お当番で顔を合わせての得難いサロンとなっている。

 遠い昔、祠(ほこら)の建て替えの際、「高名な宮大工さんにお願いしたんや」と父が誇らしげに話していた。確かに立派である。

 辻(つじ)々にある祠の前を通りすぎるとき、いつも目礼する癖がいつのころからかついている。

 地蔵盆は、室町時代に京都から畿内に広がったと聞く。本来は亡くなった子どもを子どもたちでお供養をするのが原型らしい。

 親に供養をしてもらえない子が賽(さい)の河原で石を積んで回向しようとすると、鬼に壊されいじめられ、その様子を見た地蔵菩薩(ぼさつ)がお出ましになり、こどもたちを助けられ、自らの衣服にかくまわれ、まだ歩けぬ子は抱きかかえてなでさすられたと「地蔵和讃(さん)」は唱う。

 こどもみらい館のある町内も子どもがいない。昨年は来館者に参加を募り、地蔵盆は初めてという親子8組が訪れ、町内も親子も笑顔の地蔵盆となった。伝統行事は、絶やさない知恵や工夫と「思い」が大切と思う。


あさの あけみ氏 1950年京都市生まれ。大阪医科大卒業。76年、京都市に入り、京都市立病院小児科に勤務。西京保健所長、南区長などを歴任。2003年、京都市子育て支援政策監就任。05年から現職。保健福祉局医務監兼務。