ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

人生の店じまいを覚えよう

ヴォーリズ記念病院ホスピス長 細井 順


 我々には人生の店じまいをするときが必ずやってくる。店じまいの準備が必要なことは誰もが知っている。しかし、ホスピスでの仕事を通して、日々死と向き合っている私でさえ、自分のことになるとついつい先送りしてしまう。人生80年の時代になり、病を得て、弱さを知り、死を意識しながら生活する時間も長くなった。だが、人間の思いはさらなる健康、長寿へと向かい、店じまいは棚上げにされてしまう。がん難民、介護難民という心が凍りつくような呼び名が生まれてしまったからには、現代を生きる者として人生の店じまいを忘れてはなるまい。

 ホスピスでの患者さんとの出会いを振り返ってみたい。店じまいができた人ほど穏やかに最期の時を迎えるように見える。がんの痛みは全人的な痛みといわれて、心からの叫び声が響き合って現れるといわれる。スピリチュアルペインと呼ばれるものもその一つであり、ホスピスケアの中では大きなテーマである。死の準備ができた人にはこれが少ないと思う。たとえ身体的な痛みは強くても、モルヒネなどの鎮痛剤で緩和されて和やかな時間を過ごす。

 店じまいの中では、とりわけ遺(のこ)される家族が困らないようにすることが大切だ。これができれば、傍らに寄り添う奥さんも落ち着いてご主人の容体の変化に対処できるようだ。亡くなった後にホスピスを訪れる遺族の中で、死後のことを書き記した書類が見つかったと話す家族は安堵(あんど)の表情を見せる。

 一方、がんの治療に明け暮れしている間、人生の店じまいができずにホスピスへたどり着いた人たちにとって、残された時間で帳尻を合わせることは難しいことのように思われる。

 日本人の死因の3分の1はがんである。大げさかもしれないが、ホスピスには現代人の終焉(しゅうえん)の姿が写し出されていると考えることもできる。小欄ではこれからしばらく、人生の店じまいをテーマにホスピスで旅立った人たちからのメッセージを読者と分かち合っていきたい。


ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。