ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

狐の嫁入り

映画作家 河瀬直美


 近ごろ「狐(きつね)の嫁入り」を見たことがあるだろうか? 小学校のときには外でかけまわって遊ぶことが多かったので、それによく遭遇した記憶がある。もしくは、わたしがその光景が大好きだったから“よく遭遇した”と思い込んでいるだけかもしれない。

 それは、晴れているのに雨が降っている現象。どうしてそういうことが起こるのかを考えたりはせず、その「狐の嫁入り」という響きに魅せられ、単純に美しいと思っていた。それについ先日出会えた。早起きをして、身支度をし、連休中に草むしりをし、新しい花や苗を植えた庭のほうをふと見ると、はらはらと糸のような雨がその庭に降り注ぎ、これでもかというぐらいの神々しい朝の光が斜めに差し込んでいた。

 我が家の庭は玄関から続く長く細い廊下の先にあって、その廊下にまで庭の光が届く時間帯がある。わたしはその時間と光が大好きで幾度となくその光景を撮影した。ときにわが子がハイハイをしている姿や、高齢の養母がゆっくりゆっくり自室に帰ってゆく姿など、まるでたそがれ時の人々のように、それらはわたしの目の前で本来の姿形とは少し違って織り成される絵画のようで、心に焼き付いている。また、記憶というものの一部として語るにはもったいないくらい荘厳な営みであり、永遠の光とも呼べる。

 その廊下の先に冒頭で語った細い雨が降り注ぐ様をもっと間近に見たいと思い、わたしは縁側までをゆっくりと、その光景が消えてしまわないように願いながら歩いた。縁側にしゃがみこんで眺める光景には水を浴びて生き生きとした植物たちや、光にきらきら光る蜘蛛(くも)の巣。はらっと飛び立つ羽虫のような小さな生き物が、この世界を賛歌しているようだった。

 「この世界は美しいな」自然と心にこの言葉が沸きあがった。そこには神様がいるのかもしれなかった。わたしは無宗教だけれど、こういう神様の存在は無条件で信じられる。もしかしたら、これが日本人の美意識なのかもしれない。


かわせ なおみ氏 1969年奈良市生まれ。97年「萌の朱雀」がカンヌ国際映画祭新人監督賞、2007年「殯の森」がグランプリを受賞。2010年より開催の「なら国際映画祭」エグゼクティブディレクター。