ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

弱さにつきあう

ヴォーリズ記念病院ホスピス長 細井 順


 元来、人間は現在より強く大きくなりたいと願うもので、健康を追い求めることもその現れである。また、明日への希望を胸に抱いて、ガンバリの中に毎日を過ごしている。苦しい中でこそ前進あるのみ。それが人生に勝利することだと教え込まれている。終わりの日を考える暇はないし、弱さを思うことも赦(ゆる)されない。

 病気の治療を目指す医療に携わっていると、例えば手術後に一日、一日と回復していく患者さんに出会い、医療者として素直に喜びを感じることができる。一方、ホスピスで働くスタッフにとっての喜びとはどのようなものだろうか。「ぐっすりと眠ることができた」と安堵(あんど)して迎えた朝。痛みから解放されて好物を口にしたときに見せる笑顔。久しぶりのお風呂からあがり、頬(ほお)を紅潮させて輝かせる瞳。「便が出てすっきりした」とお腹をさする両手。これらは、健康で自らの力を頼りにできる人にとっては小さなことかもしれないが、弱さを感じる人たちにとっては大きな喜びとなり、その姿に私たちスタッフも励まされる。生活の中で誰もが安楽に感じることを、最後まで叶えようというのがホスピスの願いである。

 しかし、迫り来る人生の終わりを感じたときには、どのようにして喜びを分かち合うことができるだろうか。上に述べたことはおろか、呼吸さえもできなくなってしまう時が来る。どこに苦しみを除く手だてがあるのだろうか。

 その人の手足となって生活を支えることが、ホスピスケアのスタートといえよう。時の経過とともにこころをも支えるところへとケアが深まって行き、そんな時には立場を超えて人間同士としてつながる。弱さにつきあっていくうちに患者さんは心身の苦しさを他者に預けられるようになってくる。人間はひとりでは生きられないし、ひとりでは死ねない。ホスピスケアのゴールは、患者さんの苦悩の逃げ道になることではないだろうか。苦悩を預けきったとき、安らかな死に迎えられるように思われる。


ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。