ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

病気の診断・治療、それに人生

ヴォーリズ記念病院ホスピス長 細井 順


 さきごろ、ホスピス追悼会を持った。およそ1年前にホスピスで看(み)取りを迎えた患者さんの家族を招いた。スタッフも加わり共に故人を偲んだ。家族の1人が、「ホスピスのスタッフはハートが違う。これがよかった、あれがよかったという問題ではなくて、ハートがあることがとてもよかった」と振り返ってくれた。また別の家族は、「スタッフの誰もが優しかった」と当時を懐かしんだ。

 「ホスピスはハートが違う」という言葉をいただき、私たちスタッフはとても嬉(うれ)しかった。これは、他の医療機関にはハートがないという意味ではないだろう。それぞれの医療機関ではその置かれた状況の中で、最善をなそうとハートを込めた医療を行っているはずだ。ホスピスだけが特別ではないと思う。かくいう筆者もホスピス医になる前には外科医として熱いハートで手術を行ってきたつもりだ。それは、昔も今も変わらない。

 では、ホスピスのハートとはどのようなものであろうか。病気の診断・治療が病院の役割だとすると、ホスピスの役割はそれに加えて、その人の歩み、人生に向き合おうとするところにある。患者さんがその時に抱えたがんの痛みなどの診断・治療を行うとともに、人生の途上にあって、病を得て死の陰の谷を歩む辛(つら)さ、哀(かな)しさ、やりきれなさを見つめる眼(まな)差しがホスピスにはある。

 先ほど紹介した家族はさらに、「すべての病院がホスピスのようだったらいいのだが・・・」と付け加えた。昨今の医療技術の進歩には目を見張るものがあり、病気の診断・治療も毎日のように更新されている。そのことも大切だが、医療者も患者も最先端を追いかけすぎているのではないだろうか。お互いに先を急ぐあまり、ハートが置き去りにされてしまったように思う。一歩退き、それぞれの人生を見つめてはどうだろう。

 ホスピスには一歩退いたところで見えるものがある。それはハート。誰もが求めて止まぬ人としてのぬくもりで満たされている。


ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。