ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

アウシュビッツですか…

ヴォーリズ記念病院ホスピス長 細井 順


 抗がん剤の限界が迫り、ホスピスを薦められた戦中派の患者さんに出会った。ホスピスのことも調べてきたようだ。その上で口をついて出た言葉は、「ホスピスはアウシュビッツと重なるから…」だった。

 アウシュビッツは第2次世界大戦中にナチスドイツがユダヤ人を大量虐殺(600万人といわれる)したことで知られる強制収容所のあった地名である。アウシュビッツは人間の尊厳の対極にある言葉として21世紀に語り継がれ、人類が忘れてはならない言葉のひとつだ。

 本音では、ホスピスをこのように思っている人たちも少なくないだろう。この患者さんは、物事に計画的に取り組み、リスクを小さいうちに対処できる、つまり大人の考え方ができる人物と感じた。人生をしっかりと渡り歩いた方でさえ、自らの死を人生から切り離された特別な出来事としてイメージしている。これからの道のりは、果たしてアウシュビッツのように目を背けたくなるものなのだろうか。

 ホスピスは、たとえ病気が治らないとしても、生命のある限り充実した日々を過ごせるように家族と医療者が協力して新たな「いのち」を創(つく)りだす取り組みである。

 ホスピスで、日々死を意識せざるを得ない患者さんと接しているスタッフの気苦労は計り知れないものがある。ホスピスで出会う患者さんや家族には心を揺り動かされる。彼らとともに喜び、泣き、悩んでいる。傍(そば)にいることが辛く、立ち去りたいときもある。だが、立ち去ることはできない。「誰かに傍にいてほしい」。これが死にゆく人たちの一番の願いだと知っているからだ。ホスピスが最も大切にすることは、人間の尊厳を守ることなのだ。

 現代は死が隠された時代である。身近には感じられないかもしれない。だが、死は避けられず、誰にでも平等にやってくる。死さえも人生の一部である。

 8月は鎮魂の月、死を想(おも)う月である。この季節こそ、自分の番がきた時のことを想定して、家族で話し合ってもらいたいものだ。


ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。