ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

月 光

映画作家 河瀬直美


 月を愛でるようになったのはいつの時代からだろう。古代から月夜信仰というものがあったという記述は目にしたことがある。今年の中秋の名月は夕刻より東の空に昇り、くっきりとその輪郭を空へ形作っていた。わたしは車を走らせながら、この光景を古代の人が目の当たりにしたら、どういう気持ちになるのだろうと考えていた。今の世の中ゆっくりと立ち止まって月を見上げることが1年のうち、幾夜あるだろうか。月の満ち欠けとともに生活している人の数は、近代になってすっかり減ってしまったのではないだろうか?京都や奈良のように寺の多い地域では観月祭がさかんに行われている。今年はあらゆるところからその案内が来ていて、すべてに出席することができなかった。かわりに自宅の縁側で94歳の養母と5歳の息子と月を見上げた。息子は月の中にうさぎがいて、おもちをついているのだから、本当はお団子ではなくて、おもちなんやでといって、冷凍庫の凍らせている餅(もち)をひとつ縁側に置いて、すすきと萩を飾った花瓶とともに月の光を浴びさせていた。ネオンに慣れてしまった都会では、この暗闇の月明かりをまったく感じることができない。万葉集にも詠(うた)われた庭の向こうを流れる佐保川のせせらぎを聞きながら、幾千年も繰り返されてきた営みの中に自分がいることの不思議と安心を想う。わたしたちは、このおおらかなものに包まれて生きている。

 96年に制作した「萌(もえ)の朱雀(すざく)」の現場では、深い山間の家の縁側で初めての月明かりを体験した記憶がある。20歳を超えるまで、そのあわい明るさに出会わなかったわたしである。あの青白いなんともいえない月光は、神秘的でひっそりとしていて意思の強い力を宿すようだった。それによって自分の影ができることを知りもした。月光に照らされた山のすすきや木々の陰、そこには普段わたしたちが見過ごしてしまって感じ得ない気配がおぼろげながら存在している。そんなものたちと交流するこんな日があることで、わたしの心は豊かさを増す。


かわせ なおみ氏 1969年奈良市生まれ。97年「萌の朱雀」がカンヌ国際映画祭新人監督賞、2007年「殯の森」がグランプリを受賞。2010年より開催の「なら国際映画祭」エグゼクティブディレクター。