ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ホスピス医のがん体験、その2

ヴォーリズ記念病院ホスピス長 細井 順


 私のがんは血尿となって突然姿を現した。その日、何年か振りにスキーを楽しんだ。あいにく一日中吹雪(ふぶ)いて、寒さもひとしおであった。芯から疲れる一日だった。自宅に帰りトイレへと向かった。出てきたのはどす黒く汚い血尿であった。これはどうしたことか。スキーで無理をしたための血尿だろう。痛みもないので、しばらく様子をみることにした。

 期待に反してこの血尿は続いた。運動が原因なら2日、3日で止まってもよさそうなものだ。だが、止まったかなと思うとまた繰り返した。これはおかしいと思い始めた。運動のやりすぎではないとすれば…がんだな…これが医者の常識である。尿路にできたがんであろう。自分ががん…特別な感慨はなかった。もし、がんだとすればどうすべきか。

 がんは発見された時点の進行度でその後の治療法が決まり、生存率もわかる。それを知っているので、自分なりに今後のストーリーを考えた。血尿が出るほどのがんなら早期がんということはあるまい。手術だけで完治というわけにはいくまい。早期がんでなければ、死ぬまでがんとの付き合いだ。

 がんの治療に振り回され、身も心も疲れ果ててホスピスにたどり着いた人をたくさん見てきた。むしろ治療もそこそこにして、がんを人生で出会う苦労のひとつと考えた方が案外充実しているようにも見える。「死を意識してから本当の人生が始まる」と読んだこともあった。

 がんが見つかっても直ちに死ぬわけではない。数カ月の猶予があれば人生をまとめることもできるであろう。がんの治療に人生の多くの時間を費やすよりは、自分の仕事に時間を割いて悔いなく生きたい。仕事ができる間は仕事をしよう。この時もしばらく様子をみることに決めた。

 血尿の回数が増えてきた。時には血の塊が尿道に詰まり。ゾクゾクと寒気がした。トイレに行くことさえ怖くなり、たまらずにエックス線検査室へと急いだ。

ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。