ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ホスピス医のがん体験、その3

ヴォーリズ記念病院ホスピス長 細井 順


 1カ月半も続く血尿の原因を探るために腹部CT検査を受けた。検査に立ち会った技師が、「大変ですわ。これは手術ですわ」と、私が確かめるよりも早く、沈痛な声で教えてくれた。なるほど、誰が見てもすぐに分かるような大きさの腫瘍(しゅよう)が写っていた。8センチはあるだろう。まず頭に浮かんだことは、手術をすれば簡単に取れそうだということだった。次に、手術は痛いだろうなと案じられた。すぐに対処法が浮かんだので慌てることはなかった。早速、友人の泌尿器科医に電話をかけた。その話の中で、始めて「がん」という言葉が重くのしかかってきた。

 自宅へ帰る車の中で一人になると、いつまで生きられるだろうかと不安な気持ちに襲われた。がんかなと思っていた昨日までの気持ちとは違った。ふと、聖書の言葉が浮かんできた。一粒の麦が地に落ちて死ななければ一粒のままだが、死ねば多くの実を結ぶという一節であった。その時、死を意識した新たな人生が始まることを感じた。

 手術の準備が進められたが、私はどうしても医療者に伝えたいことがあった。私が手術を受ける目的は、日常生活に支障をきたしている血尿の原因を取り除くことであた。つまり、この手術に生死をかけるつもりはなかった。がんを意識しつつ、1カ月半も血尿を放っていたのだ。今更、命乞(ご)いをしても始まらない。腎がんと闘い、打ち勝つことが私の人生の中心テーマとは思えない。もともといのちは与えられたものだ。手術にも限界がある。目的にあった手術を安全に行ってもらいたかった。私は血尿を止めるために手術を受けたいのであって、手術で病気を治したいと切望しているわけではないことを伝えたかった。

 手遅れなら手遅れで構わない。できるだけはやく職場に復帰して、動けるうちにやりかけの仕事をしたいと私の希望をしたためて、主治医と看護師に、「患者の気持ち」と題した一文を手渡した。

ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。