ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

夜明けの贅沢

映画作家 河瀬直美


 4月から朝5時に起きて、まずお湯を沸かし、それをフーフー言いながらすするという日課を続けている。そうして体が目覚めだすと、近所を歩く。

 我が家は大仏を建立された聖武天皇さんの御陵に近く、万葉集にも詠(うた)われた佐保川に面している。その御陵さんのわきみちを入り緩やかな坂道を登りきると、かつて多門城というお城があった場所に建てられている中学校にさしかかる。

 高台の学校の校庭を抜けて奈良市内を見渡すポイントで一休みし、深呼吸をすると眼下に大仏殿や五重の塔などが見える。わたしは静かに手を合わせながらこの世界の豊かさを想(おも)う。そうしてご先祖さまが守ってこられたこの風土の中で今暮らせていることに感謝する。

 多門城は1659年に築城され、織田信長も使用していたお城だが、1678年に取り壊されてわずか19年だけ存在した幻のお城として知る人ぞ知る名城であるらしい。

 つい先だっての桜の満開時には誰もいないその空間で朝日が昇る荘厳な光景を目にして、ポルトガル人の宣教師ルイス・アルメイダ氏がこの城を絶賛した意味がわかるような気がした。外国人が見たこの土地の美しさ。変わらぬ山河の姿には畏敬(いけい)の念さえ抱いただろう。

 早朝の朝靄(もや)の中に澄み渡ったうぐいすの高らかな声を耳にして、こんな贅沢(ぜいたく)は決してお金で買えるものではないとあらためて想う。そういった贅沢はわたしの体内にいい要素として吸収されていく。物事に感謝し、何代も先のわたしたちの子供にこの贅沢を知る大切なものを守り伝えなければならない。

 そうしてひっそりと佇(たたず)む道端のお地蔵さまに祈る。この界隈(かいわい)のお地蔵さまには生花がいつも美しく活けられ、人々の営みの豊かさが垣間見えるようだ。分かりやすい説明や高尚な肩書など一切いらない。自らの感性で物言わぬ自然の数々と夜明け前の数分間、共に在るというだけで、人はとても清らかになれる生き物なのだから。


かわせ なおみ氏 1969年奈良市生まれ。97年「萌の朱雀」がカンヌ国際映画祭新人監督賞、2007年「殯の森」がグランプリを受賞。2010年より開催の「なら国際映画祭」エグゼクティブディレクター。