ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ホスピス医のがん体験、その4

ヴォーリズ記念病院ホスピス長 細井 順


 1カ月半続いた血尿の原因が腎臓癌(がん)のためだと分かったので手術を受けた。手術の前には、「患者の気持ち」と題した一文をしたためて担当医、看護師に手渡した。万が一に備えて、家族に宛(あ)てた文も残した。自分で準備できることはやった。後は任せるしかない。

 右腎臓摘出という程の大きな手術は初めてだった。身の周りが思い通りにできず、用を足すことも他人に委ねなければならなかった。患者の心は弱く、挫(くじ)けやすい。患者の「患」という字は「串(くし)刺しの心」と書く。経験してよくわかった。

 医療者の存在は想像以上に大きかった。発する言葉の重みが違う。その言葉だけが明日への灯火をつけてくれるかのように感じた。一言も聞き漏らすまいとしていた。納得できない言葉に出会うと疑心暗鬼を生み、励ましの言葉には底知れぬ力をもらった。ただ心細い私の気持ちに届いてくれた医療者はなく、真に打ちとけた会話にはならなかった。

 この身が自由にならないとき、手足となってくれた家族は大きな救いだった。家族を通して、ひとりでは生きられないことも知った。常に誰かに見守られ、支えられて生きていることを実感した。

 手術後の細胞検査で腎細胞癌と診断が確定した。がん患者と認定されたのだ。その報告書を見た時には正直気落ちしたが、幸いなことに転移がないことも記されていた。これならまだ3年くらいは大丈夫だ、生きることもできるだろうと思った。早期がんではないので、この先ずっと「再発」の二文字を背負って生きていくことになった。

 術後経過はよく、日一日と回復した。病院の食事では足らなくなってきた。早く退院して期限の迫った仕事を片づけたい、手術を受けた経験を仕事の中で生かしたいと考えるようになった。

 手術後3週間で、ホスピス医として現場に戻った。同世代のがん患者さんが笑顔で私を迎えてくれた。

 「お帰りなさい」。

ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。