ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「神奈備」の古社

映画作家 河瀬直美


 飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社という長い名前のお社が奥明日香にひっそりと鎮座されている。読みかたを「あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ」というのだそうだ。

 古代の読みを今に残すものには、当時として意味があるのだろうが、いまやその意味さえわからない現代を生きるわたしにとって、慣れない長文の英語を記憶するようなものだ。それならば、そのお社にご縁をいただいて毎日通ってみようという気になった。

 そのお社は神様が降りてこられる山としてその名を今に残す神聖な場所、「神奈備(かんなび)」の山の頂上あたりに位置している。よって、そこに至るまでの道のりは180段の階段を上らなければならない。運動不足のわたしには、半分くらい上るだけで息が切れる。これはまったくなさけないことだと思い、とにかく息がどれだけ切れても本殿の前にたどり着くまでは、足を止めないということを自分に課した。

 何日か通ううちにその行いが自分の中での日課のようになってゆき、その神社の名前も普通に口にできるようになった。心なしか息が切れる状態が少なくなったような気がする。いつ行っても誰もいないその社の前にたって、ただひたすらにご縁を結べたことに感謝する。ここに来られることを慶(よろこ)びとする。そうすると、日々知らず知らずのうちに犯している自分自身の穢(けが)れが落とされてゆくように、吸う息が心地よく体の隅々が浄化されてゆくようだ。

 特に早朝、まだ日の出前にそこにたどり着き、甲高い鳥の声に耳を澄ませていると自身を見つめる貴重な時間をいただいていることを幸せに感じる。やがては年2回の村人たちの掃除以外にはただひっそりとそこに鎮座される社をささやかでも掃き清めたいと思いたち、階段に積もった杉の葉を竹箒(たけぼうき)で掃き落としていった。一段一段、ただ清めること。その歴史の一部である自分の役割を、そのとき知るように…。


かわせ なおみ氏 1969年奈良市生まれ。97年「萌の朱雀」がカンヌ国際映画祭新人監督賞、2007年「殯の森」がグランプリを受賞。2010年より開催の「なら国際映画祭」エグゼクティブディレクター。