ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「撮りますか?」

映画作家 河瀬直美


 新作映画の撮影が終了した。今回は撮影も担当した。全編、20キロ近くのキャメラを担いで演出をする。初めての体験で多くの勉強をさせてもらった。経験不足の撮影者を支えてくれたのはまだ若い33歳の助手であったが、非常に優秀な人で、わたしの無謀な感覚的要望を確かな技術力で満たしてくれていた。

 もともとドキュメンタリーの手法を良しとするわたしのやり方は、前もって決め事をしない。シナリオはあってもないのと同然、書かれていることだけを準備していても、目の前に起こっている事柄の方に目が向いて、その場で方針変更ということは多々あるのだ。

 通常だと、ここを撮影するから、こんな具合に、と事前に各部署に伝える。きちんとした設計図に基づいた準備が展開される。特に美術などは、キャメラがとらえる個所だけを綺麗(きれい)に飾り、それらしく見せてゆくことを仕事としているので、映るか映らないか分からないものを作ることはめったにない。

 けれど、わたしの場合は360度地面から空に至るまで、本当にあるように、作りこんでもらわなければいけないので、使うかどうかわからないようなお風呂や洗面なども作ってもらう。役者にとって、それがリアルにその目に映し出され、わたしは彼らの本物の表情をすくい取るのだ。そこのところの一見無駄に見える作業にわたしは映画の深みが出るのだと思っている。

 また、冒頭で紹介した撮影部はわたしの目に映ったもので、良しとするものをいつ何時撮るよ、ということになるやもしれず、いわば24時間アンテナを働かせていなければいけない。撮影開始1週間くらいになると、わたしが「あ」と言った瞬間に彼らはさっと身構えていつでも撮れる態勢でいてくれた。

 田にへびが這(は)っているのを見かけて声が出ただけのときにも「撮りますか?」という声。そんな声がクランクアップ後の今もわたしの耳にこだまして、現実に戻れないでいる。


かわせ なおみ氏 1969年奈良市生まれ。97年「萌の朱雀」がカンヌ国際映画祭新人監督賞、2007年「殯の森」がグランプリを受賞。2010年より開催の「なら国際映画祭」エグゼクティブディレクター。