ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

がんから教わったこと

ヴォーリズ記念病院ホスピス長 細井 順


 私のがん体験を半年にわたって綴(つづ)ってきた。発病から検査、診断、手術、術後の経過とその時々にどのような思いだったかを振り返った。

 がんは悪性と呼ばれ、致命的な病気の代表である。だが、私の人生にとっては良性だった。がんを通して生きる意味を教わった。

 ホスピスで私と同じ腎がんで治療をしてきた患者さんに出会う。再発してホスピスを訪れる患者さんが大勢いる中で、私が再発もなく生きていることに不思議さを覚える。生死は人間の考えが及ぶ範囲のものではないと感じる。我々はさまざまな願いを持って過ごしているが、死はいずれ訪れる。生物の至上命令は子孫を残すことにあると生物学者の本で読んだ。そのために、生物には死が備えられているというのである。それを知って、その時に備えることが自分らしく生きるということなのかもしれない。

 術後6年が過ぎたが、もっと早い時期に再発してもおかしくないと思っていた。何故再発しないのかはわからない。私は自分の力で生きているわけではなくて、ただ生かされているのだと思えてきた。毎日が与えられた一日であって、自らが創(つく)り出したわけではないように、このいのちも与えられたものだと思う。与えられた一日といのちを役立たせることが、人間に求められているのではないだろうか。

 人はひとりで生きているわけではないこともよくわかった。誰かに支えられて、真っすぐに歩んでいけるのだろう。お互いに支え合うから生きていける。誰かの支えになることがよい人生を過ごすためのもう一つの道筋なのだろう。

 支えというのは援助することばかりではない。ある人の「思いの宛(あ)て先」(鷲田清一氏)になることも支えることである。待たれる人も支える力のひとつになる。介護されることも誰かの支えになっている。弱さ、無力にも存在価値がある。

 誰のことも大切にしていきたい…こんなことをがんから教わった。

ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。