ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

相手に寄り添う心


真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 「辛いよ。苦しいよ」泣き叫んでいる人に私たちは何と声をかけたらいいのでしょう。

 仏教に「対治(たいじ)」「同治(どうじ)」という言葉があります。「対治」と、煩悩を断じ退治するということで、励ましたり、激励するということです。例えば、子どもが「寒いよ」と外から帰ってきました。すると「若いのに何を言っているのか!寒さに耐えてこそ強くなれるのだ」と気合を入れることが対治です。

 しかし厳しさだけでは生きていけません。どこかにほっとする温かさを求めます。それが「同治」です。「寒かったか。風邪ひいたら大変だよ」と背中をさすってあげる。そんな言葉に人間は心も落ち着きます。

 悲しんでいる人に、「クヨクヨするな!頑張れ、元気を出せ」と言って悲しみから立ち直らせようとするのが「対治」です。「辛かったね。何でもいいから話してね」と、心の重荷を降ろさせてあげようとするのが「同治」です。

 力強く励ますことも必要なこともあるでしょう。しかし人間の頑張りには限界があります。あんまり言われるとその言葉が重荷になることもあるのです。

 親鸞聖人という僧は「そもそも私たちは悩み苦しむ凡夫なのだ。煩悩を断ずるのではなく、悲しい時は悲しいまま。失敗したら失敗するのも私なのだ。うれしかったらそのままを喜んだらよい」という、力の抜いた教えを広めてくださいました。「あるがまま」「そのまま」を生きさせていただいたらいいのです。それが自然(じねん)のはたらきなのです。

 私は学生のころ、さまざまな悩みを抱えていました。ある時に恩師が「川村!お前辛かったんやな。俺はお前に何もしてやれなかった。こんな俺を許してほしい」と涙を落とされた時、私の中にある不安や苦しみが半分流されて行ったことを今でも忘れません。

 私たちは相手と同じ気持ちにはなれません。しかし悲しみに寄り添うことはできます。人間関係が希薄になった今「同治」の気持ちを持ちたいですね。


かわむら みょうけい氏 アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。