ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

小学2年生の日本国憲法

まちの学び舎ハルハウス代表
丹羽 國子



 小学校1年生の時に疎開先で終戦。翌年に転校した名古屋の小学校は熱田空襲で廃墟。多くの児童は裸足やちびた下駄(げた)、お腹には回虫、頭にシラミ、衣服は破れたまま、運動場に一列に並び、目をつぶってDDTをかぶっていた。孤児や長期欠席者もいて、担任の永井先生は毎日、授業後に家庭訪問。病弱で休む私へも訪問して、授業の進行状況を教え、絵本を読んで下さった。クラスで児童は組になって、焼け跡の瓦礫(がれき)からクズ鉄を集めてお金に換え、ノートや鉛筆を買い、皆で分けた記憶も残っている。

 とりわけ今も鮮明な記憶は、先生がわずかに残ったプールの壁面を黒板にして、日本国憲法が発布された事を説明し、3列の縦書きに主権在民、民主主義、男女同権と記して「平和憲法です」と説明して下さった事である。この授業は、今日までの暮らしのバックボーンとなって生きている。たとえば5年生で転居した小学校は児童が教室の中央から男女に分かれていた。クラス会で疑問を呈して児童が議論するのを先生が見守り、男女が混じる席に変化した。

 社会の仕組みの礎があると、小学生のうちから疑問を呈して議論ができ、友人も多くなった。それは人間発達に有意義で肝腎(かんじん)な事だったと実感する。

 今日の小学生は、どのように教えられているのであろうか。18歳で大学へ入学出来ても、居住する地域の区役所・消防署・警察署・保健所・病院等の公的諸機関すら知らない学生も多くいる。一方、公私の諸大学は、学生主体よりも大学存続に躍起である。

 私たち先輩は、つぎの世代の育みにおいて、社会の一員のなかに、中学校を卒業して就業し、社会保険加入者になる人もいる日本である事を忘れてはならない。少数者への配慮に心して、変革に向けて行動しなければならない。

 その意味で、義務教育中に、しっかり日本国憲法を学ぶ事は、その後の暮らしのなかでの選挙権行使や納税、災害や事故などの対応の重要な礎となるに違いない。


にわ・くにこ氏 
看護師、ケアマネジャーを経て2009年まで佛教大教授(社会福祉方法論)名古屋市出身。72歳。