ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

人生の極意


ヴォーリズ記念病院
ホスピス長 細井 順


 「人生の極意とはなんでしょうかね」とホスピスで過ごすある患者さんに尋ねた。この方は60代後半の男性で、胃がんの手術に加えて、肝臓、骨、脳への転移により何度も手術を受けてきた方である。脳に転移しているために返答に少し時間がかかるが、きちっと返答してくれる。傍らには良妻賢母と表現できるような奥様が付き添っていた。症状が落ち着いているときには自宅で過ごし、重症になってくるとホスピスで過ごした。これが3度目の入院であった。3カ月前に初めて出会った時には、「なるようにしかなりませんから。悩んでも、焦っても仕方ない」とどっしりと構え、死をも恐れていないように見受けられた。よい意味で開き直り、私にとっては安心して訪れることのできる患者さんのひとりであった。

 ある日、病室で話しているうちに、人生を振り返る話題になった。学生時代のスポーツの話から、人生の大半を過ごしたサラリーマン時代のことなどを語ってくれた。その口元は滑らかで、奥様から合の手も入り、とても楽しげに、満足げに話してくれた。働き盛りを職場のリーダーとして、困難な仕事に積極的に取り組んで、結果を残してきた姿がまぶたに浮かんできた。そんな中でふと私の心に浮かんだのが冒頭の問いであった。

 少しの間があって、「よく学び、よく遊び」と返ってきた。傍らにいた奥さんから「何事も一生懸命にする人でしたから」とフォローがあった。

 ホスピスの時間は人生を凝縮した時間だと言われる。ゆとりさえ感じられる日々と寄り添う奥様、この患者さんの語る人生の極意、これらを考え合わせると「なるほど」と思わせられた。

 「死ぬ瞬間」を著したキューブラーロスという精神科医が、死とうまく向かい合える方法を研究している。過去にストレスの多い状況を乗り切った経験、意義深く充実した人生を送ってきたという気持ち、互いに思いやり支えあう夫婦関係といった項目を挙げていた。

 もう一度、「なるほど」という気持ちにさせられた。


ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。