ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

思い込み


真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 先日、アイスクリームを食べていました。すると隣に座っておられた男性が「坊さんがアイスクリームとはびっくりですな」とおっしゃったのです。坊さんは修行に打ち込み、そういうものは食べないという思い込みがあるようです。

 あの人の職業は堅いから、真面目な人なんだろう―という思い込み。私は異性にもてるからすぐ結婚できるという思い込み。算数と理科の成績がたまたま良くて「この子は将来、研究者だ」と親は絶賛。しかし本人は芸人を目指しているということはあります。

 私は人情味があるから小料理屋の女将(かみ)さんになった。しかしあまりにも涙もろく、お金を取れなかった―という人がいます。そこに経営の能力がないと商売もできないのでしょう。周りから期待されて、ついそういう気になったはいいけど、向いてなかったというのはあります。

 思い込みが違っていれば、労力を割いて、行動し続けることになります。そうなると本来の自分と全く違った方向へさらに進ませてしまい、後で何かが違うと思うのです。では思い込みを捨て、何でも信じたらいいのか?となりますが、そうではありません。

 「思い込み」とは独りよがりの決め付けでしかないのです。大切なのは自分のものさしで物事をはかるのではなく、色もない、形もないものにそのまま耳を済ますということではないでしょうか。今、いただいたそのものを受け取ることなのでしょう。そこに私にある「命」との感動、感覚が取り戻せたとき、そのものに向き合えるようになるのです。

 肩書きにとらわれる。言葉の強さだけに流される。それは肩書きだけが絶対だ!という私の思い込みがあるからです。あなたを信じているからねと強調する。それは信じるという烙印(らくいん)を押さないと不安だからでしょう。確かなものに遇えば「信じてます」と言わなくてもいいのです。形にこだわらなくてもいいのです。

 もう一度、自分の思い込みを見直してみませんか?

 無理に自分のイメージを作らなくていいのです。


かわむら みょうけい氏 アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。