ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ホスピス医師の特権


ヴォーリズ記念病院
ホスピス長 細井 順


 2年以上前から痛みの治療で通院している大腸がんを患ている80代のおばあさんがいる。声は大きく、がっしりした体格の持ち主だ。

 この日も開口一番「えらい」としゃがみ込むように腰を下ろした。同居しているのは90歳の夫である。認知症だそうだ。このおばあさんが世話を続けている。食事の面倒をみているが、毎回、ひどいことを言われるようだ。

 「もうイヤになってしもた。早ようお迎えに来てほしい。自分も病気をしているのやから、優しいしてもろてもええはずやのに、怒鳴られてばっかりや。アホらしいてやってられへんわ。先生、どないしたら早ようお迎えが来るんか教えてんか」。

 「ナンマンダー、ナンマンダーと手を合わせればええとホーネンさんもシンランさんも言うてはるから、そうしてみたらいいのとちがうやろか」。

 「いっつも手を合わせているけんど、全然お迎えが来やせん」。

 「何遍でも唱えへんかったらあかんみたいやし、まだ足らんのかもしれへんよ。千回でも一万回でも唱えんとあかんのと違う?」。

 「これ以上唱えとったら飯の支度する時間もあらへんようになるわ。そんなんしたら食うていかん」。

 「そうかー、そんだけナンマンダーしてんのに、まだ迎えにきてもらわれへんの。かわいそうやね。ボク、w仏さんともキリストさんとも仲ええし、今度会うたら頼んどくわ」。

 それまで硬い表情でうつむいて首を横に振ってばかりであったが、突然大笑いして顔を上げてくれた。だが、「あかん、あかん、そんなん信用でけへん」と今度はニヤニヤしながら首を横に振り出した。程なく「ほな、クスリもろうて帰ろうか」と席を立った。

 ホスピスで旅立ちを見守っているうちに健康と病気、生と死の境目が淡くなってきた。そんな日々の中から仏さんやキリストさんと仲良しだと、我ながら驚くような一言が飛び出した。思えば、これはホスピス医の特権、一番の強みである。


ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。