ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

妄雲―もううん―


真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 月が綺麗(きれい)な季節となりました。私は一日の締めくくりに空を眺めます。すみ切った空であればいいのですが、そういう日はめったにありません。雲も同時に見なければなりません。せっかく綺麗な月を見たくても、雲でさえぎられることもあります。

 親鸞聖人は「定水(じょうすい)を凝らすといへども識浪(しきろう)しきりに動き、心月(しんげつ)を観ずといへども妄雲(もううん)なお覆ふ」(嘆徳文)とおっしゃいました。

 修行をすればするほど、自分の煩悩の火はますます燃えるばかり。どれだけ心の中にきれいな月をみようと思っても、欲望の雲がその月の前に立ちはだかって、私のこころをおびやかすとおっしゃっています。

 妄雲・・・これはまさしく私たちはこの世を生きる中での邪魔者ではないでしょうか。

 人間関係、怒り、嫉妬、挫折。さまざまな苦悩が毎日のように押し寄せてきます。「もうこんな人間関係はイヤだ」と逃げても残念ながら雲を避ける生活はできないのです。

 先日、ある俳優が長年恨み続けていた父親と和解したという記事をみました。

 昔は父親に捨てられたことを恨むことしか考えられなかったそうです。しかし、今俳優として多くの役を頂く中、「幸せな家庭では役者をダメにしていた」ということに気がつかれたそうです。そこではじめて父親と向き合えることができたそうです。これまでのさまざまな経験が役者としての肥やしとなったのですね。

 この雲は他人だけではありません。この私そのものであることを忘れてはならないのです。常に「我」という雲を巻きおこし、自分のおこした雲にまきこまれて悩み、心傷つき、人も傷つけ迷いを深くして覚めることはできないことに気がつけません。

 雲は一瞬にて形を変えるように、私たちの苦悩も一生続くとはかぎりません。この空を見ながら、私の中にもいい所と悪い所が同時にあることを気がつかせていただけたらいいのですね。

 「曇りのち晴れ」 この繰り返しで明るく生きましょう。


かわむら みょうけい氏 アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。