ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

二つの物語


ヴォーリズ記念病院
ホスピス長 細井 順


 1月半ば、池さんという70代の男性患者さんがホスピスから旅立った。1年間闘病を続けたが、とうとう自分ひとりでは身の回りができなくなった。そして残りの1カ月をホスピスで過ごした。ご自分で病状をよく知っていたので、ホスピスは人生の総決算のときだった。

 池さんにはひとつ気がかりがあった。ホスピス入院の数日前、次男氏の家庭に待望の赤ちゃんが生まれたのだ。この手で孫を抱くことが次男氏一家への親の愛情と考えていた。何としても東京に住む次男氏のところへ行く。これが人生最後の仕事と決めていた。奥様と長男氏に抱えられるようにして1泊2日の東京旅行を成し遂げた。

 最期の場面では、奥様をはじめ、3人の子供さんや4人のお孫さんがそろって、目に涙をためながら、代わる代わる池さんの枕もとでお別れの言葉を交わした。悲しい中にもぬくもりのあるお別れは、池さんご一家がこれまで過ごして来た家族の歴史の一端を垣間見るようであった。

 2週間ほど経って、奥様から手紙をいただいた。池さんは生前からお葬式をすることが大切なことではなくて、もっと別に大切なことがあると話していた。そのことを思うと、最期に家族のひとりひとりがお別れを言えたので悔いはないと結んであった。

 奥様と共に丹精を込めて描かれた池さんの70年の物語は大団円を迎えた。

 だが、人間はもう一つの物語を生きているのではないだろうか。池さん個人の物語とは別に、池家に連綿と書き連ねられたいのちの物語がそこにあるように私には映った。池家の人たちが見せてくれたいのちのリレーは、池家に代々受け継がれている物語の中のとある一ページではなかったのだろうか。池家の物語は終わることなく、次の世代に引き継がれて新しいページが書き込まれていく。

 我々は親からもらった名前で日々を重ねている。自分一代の物語を生きるのであるが、親から受け継いだ物語も後押ししてくれる。

 人生は二つの物語をつづることだと教えられた。


ほそい じゅん氏 1951年生まれ。大阪医科大卒業。自治医科大外科講師を歴任後、96年淀川キリスト教病院ホスピス医長。2004年自らも腎がんを経験した。06年から現職。患者と哀(かな)しみを共にするケアを実践している。