ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

豆が怒る

まちの学び舎ハルハウス代表
丹羽 國子



 年末に友人から黒豆煮を頂いた。黒豆はしわが多くてほっこり感がなく芯がやや硬い。煮方を尋ねると「黒豆を水に浸すこととゆでる時間を端折って半日にしたからかしら‎」「そうね。お豆さんが怒ったのよ」「え?」。子どものころ、煮方を急ぐとお豆さんが怒って硬くなる、と教えられたと言うと納得された。

 今日の日本は、若い親子とも“豆が怒った”ように、芯に不満と不安を抱えた大人ではなく“小人”が増加しているように思う。たとえば、親の孤立死に離れて暮らす子たちは「あの人の事は関係ありません。遊んでもらった記憶も有りませんから」。ガチャンと電話を切るように、親が共働きで子育てに無理をして大学まで行かせた‎と言い訳をしても、0歳から保育・学校依存で関わらなかった子たちの逆襲は深刻である。

 親から子へ暮らし方の智慧(ちえ)(食文化・家事家政等)を丁寧に手渡す事や親子の絆が弱まっているように見える。 保育所保育指針(1965年)に基づく専門保育士による集団保育は、今日なお待機児童問題は解消されない!と、親も専門家も政府も保育所の増加に躍起である。しかし、ちょっと立ち止まって考えて見よう!

 明日の日本を担う子どもの育児は、親子の慌ただしい通園送迎による専門家中心の保育所育児ではなく、家庭内と周りの地域支援で食文化や生きる智慧を手渡すことを創造する子ども中心保育の時代にすることが不可欠になって来た。

 子どもたち一人一人の全面発達に専門家集団が寄与するのは、少なくとも小学校からの学びを円滑にする就学前の集団行動に慣れる場(幼稚園のような保育施設)の期間に限定したほうが良いのではないか。

 “育児は育自”と親もまた子の育児を0歳から全面的に担うことによって、親自身の成熟につながり親子の絆が強まる。

 少子高齢化が一段と進む中、親は子の育児支援に元保育士や看護師やベテラン中高年の助けを借りて“総合的家庭育児支援”に大転換する時期を迎えている。


にわ・くにこ氏 
看護師、ケアマネジャーを経て2009年まで佛教大教授(社会福祉方法論)名古屋市出身。72歳。