ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

静かに生きる


真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 ひなびた温泉にゆったりつかっていると、大きな話し声が聞こえてきました。何やら、仕事の話を熱心にしているようです。せっかく温泉に来て、仕事の話を持ちこむとは、ゆったりとした時間がとれないのは残念だなと感じました。

 さて、人間には静かな人がいたり、慌ただしい人がいます。関西でいう「せわしない人」です。慌ただしい人が本当に忙しいのかといえばそうではありません。常に自らを慌ただしい世界に置いているようです。時間はたっぷりあるのにその状況を受け入れることができず、常に「何かしなければならぬ」と時間に追いかけられているようです。

 例えば、電車の中で、そわそわと携帯を見たり見なかったりの繰り返し。バッグの中をゴソゴソしたり、時計を何度も見たり落ち着かない。
 けがをしたときも、早く治したいとイライラと騒いでしまい、しっかり身体を休ませることができない。

 なぜ静かになれないのでしょうか。

 心に余裕が持てず荒れてしまっているためでしょう。ちょうどひび割れたレンズで周りを見ると目の前の状況はすべて割れて見えるのと同じことです。何を見ても楽しめないのです。

 本当の静けさとは、すべてを受け入れる「心の深さ」でしょう。風呂にお湯を入れるとき、お湯が少ないと「バシャバシャ」と大きな音がしてうるさい。しかしお湯がはって深くなると、蛇口から出る水は静かになります。

 さて、私が静寂の時間を過ごせるのは生け花をしているときです。忙しい時ほど、畳に座り、花と向き合います。それは、自分の思い通りに植物の形を変えることができないことを学び、同時にこの私も自分の思い通りには生きられないことを悟る時間だからです。なんだか目の前の花に頭が下がる思いです。

 忙しいとは心を亡くすと書きます。忙しい忙しいと言っているうちに大切な事を見過ごしてしまうことほどもったいないことはありませんね。どうか一度、心のブレーキをかけませんか。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。