ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

帰ろかな




さわやか福祉財団理事長
堀田 力



 故郷(ふるさと)とは何だろうか。思春期の少年のような問いだが、福島の県外避難者の支援活動をしていると、そんな問いが浮かんでくる。

 問いを変えれば、「あなたは、京都が放射能に汚染した時、京都とわが家を捨てられますか」

 福島の県外避難者は、ずっと、その問いに苦しめられてきた。汚染がひどくて帰郷困難と判定されれば、諦めざるをえない。3、4年経てば帰れると明らかであれば、どうするか決められるし、帰ると決めた人は、今の不安定な暮らしを我慢することができる。

 先が見えず、決めようがないから辛いのである。

 だから3月19日に官邸で開かれた復興推進委員会で、私は要請した。

 「ともかく、早く決めてあげてほしい」

 当たり前のことである。1年が経つのにまだ調査が不十分で決められないのは、それ自体が人災である。

 そして、提言した。

 「全国各地に限界集落があって、人々の移住を待っている。政府は、福島に帰れない人々と、受け入れたい自治体とのマッチングをやってほしい」

 復興庁の平野大臣は、この提言に答えなかった。

 福島県の佐藤知事が、「汚染の調査が進まず、そのため福島県民が他へ移住をしていくのが、身を切られるように辛い」と言って、国を暗に責めていたからであろう。

 佐藤知事は、会議の最後に、「私は、堀田委員の発言がきわめて辛い」と訴え、会議は終わった。

 私は、思う。「大丈夫な町にすれば、ほとんどの県民は帰るだろう。そこが、ふるさとだからだ。しかし先が見えなければ、離れるだろう。自分が自分らしく暮らせないふるさとは、もはや引き止める力はない」

 さらに、思う。「帰らないと決めた県民を見捨てて、その移り住む先をあっせんしないのは、人よりも県を(あるいは市町村を、国を)優先する発想ではなかろうか。たとえ県が(市町村が、国が、なくなっても、人の思い(幸せ)の実現に協力すべきではなかろうか」

 どうなのでしょうか。


ほった つとむ氏 1934年宮津市生まれ。京都大法学部卒業。東京地検特捜部検事、最高検検事などを経て、91年に法務大臣官房長を最後に退職。現在、ボランティア活動の普及に取り組む。弁護士。著書に「おごるな上司!」「心の復活」「少年魂」など。