ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

休む時間


真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 私の所には毎日多くのメールの相談がきます。最も多い月は12月。続いて、まもなく来る5月です。世間では「五月病」とも言われるようです。しかし、「五月病」というのは医学用語ではなく、この5月の時期に多くみられる、ストレスを抱えることを指すようです。新しい環境や生活に適応できず、「何とかしなくては!」と焦りと頑張りが空回りし、一時的に強いストレス状態に陥りやすい月なのだとか。

 これは、「絶対に、頑張るぞ!」と希望に胸をふくらませていたのに、新しい職場や仕事、人間関係になじめないという気持ちのギャップからくるそうです。

 私は、空いた時間はできるだけ身も心も休めることを勧めています。ところが、中には「休む」ことが怖いという人もいます。「みんなは頑張っているのに、休んでしまって情けない」と自分を厳しく評価してしまうわけです。

 しかし、休むというのは「怠ける」ことではないのです。体力を消耗すると、体が疲れて力が出なくなります。同じように、ストレスで心が疲れると、気力がなくなり、いい発想や考えが生まれません。

 何もしない自分を責めるということは、ストレスでダメージを抱えた心をさらに痛めつけているようなものです。大切なのは、「何のための休養か」をしっかり知り、心を緩めることではないでしょうか。

 さて「鬱」(うつ)の意味は、草木が生い茂っているさまを表し、鬱蒼(うっそう)とも言います。

 「鬱」という字には木が二つついていますが、「茂りあって、なかなか見通しがつかない。こんがらがって鬱屈している」ということです。自分の力だけを当てにして切り開いていこうとするからつらいのです。

 行き詰まったら、木にもたれて空を眺め、この自然に包まれていることを知りましょう。力まかせに生きるのではなく、自然(ありのまま)で生かされていることを知りましょう。「木」に「人」と書いて、「休」む。力を抜いてゆったりとする時間を持ちませんか。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。