ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

心の壁


真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 私の朝は、登校中の小学生に声をかけることから始まります。

 登校の列もなくなったころ、ゆっくり歩いてくる男の子がいました。私は「おはようございます!」と笑顔であいさつをしました。するとその子は、手を上げながら「おはよう」と返してきたのです。「え? こちらは敬語をつかってあいさつしたのに、なんというガキだろう」とムッときてしまいました。しばらく境内を掃きながら、「ガキか…」と自分の発した言葉を振り返ってみたのです。

 最近、「最強のふたり」という映画を見ました。

 大富豪の紳士フィリップは、事故で首から下が麻痺(まひ)してまったく自由が利かない状態になったので、自分の介護役を面接することにします。希望者のほとんどが「介護とは愛です」「人間が好きです」と言う中、スラム育ちのドリスは面接中でもキャーキャーとはしゃいだりして、普通に接してきます。何の礼儀もないドリスにびっくりしますが、フィリップは興味をもち採用するのです。

 介護が始まっても、ドリスは常識や偏見に縛られず、平気でフィリップをおちょくります。周りの人間は、「ドリスは信用できないし、常識がない。首にしろ」と言いますが、フィリップは「ドリスは私を同情の目でみない。それがいい」と答えるのです。

 社会的立場も趣味も正反対なふたりが、なぜここまで「心を通わせたのか」。それはお互いが共感できたということなのでしょう。

 そこに立場は関係ありません。敬語も使いません。

 ガキとは「餓鬼」と書く仏教用語です。欲心に追い回され、自分が上に上がることだけを考え、今に満足することができない鬼の姿。「このガキ」と言って、相手を餓鬼と見た私。実は、上の立場になって子どもを見ていたのは、むしろこの私のほうだったのです。こちらで心の壁を作っていたのです。

 大きく手を振って歩く小学生に、頭を下げる私がいました。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。