ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「難民」と共に生きる国に

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介


 ガザ地区とイスラエルの紛争で爆撃を受けるパレスチナ難民の子どもたちの悲痛な姿が、この数日頻繁に報道された。しかし、「難民」という言葉は、私たちには縁遠く感じられる。

 移民や亡命、そして難民に対する日本の門戸は狭い。5千万人いる世界の難民のうち、日本で難民と認定されるのはごくわずかだ。小さな島国という地形に守られ、海外との行き来を断った鎖国の歴史。その影響が、延々と現代まで続いているかのようだ。

 だが、国の内外の争いによって、世界には難民が絶えず生まれている。だから難民問題の解決は、「国家」を作った人類の課題だ。

 在日の人たちが、かつてまさに難民であったことを意識する場面は、現代の日本では少なくなった。しかし、新たな「難民」が日々生まれていることも、意識されにくいままである。

 寒空に年を越す部屋がない多くの若者が、現代の難民として「派遣村」に集まり、この国の貧困という現実を人々につきつけた。

 次に、大震災と原発事故が東北の人々を襲い、多くの人が住む場所を失った。なかでも、原発事故による放射能汚染は、強制移住という悲劇を生んだ。さらに放射能に対する不安から、多くの母親と子どもが全国に避難している。彼らは自主的に避難したのだからと、補償の対象外とされている。ようやく他県に住居を得ても、先の保証は全くない。国の無策と相次ぐ事故の隠蔽(いんぺい)、住民の不安にまともに対処できない怠慢が生んだ、新たな難民である。

 国や政府はウソをつく。国民の命を犠牲にしてでも争いあう。国が人々を守らない時、難民が生まれる。その歴史を反省した世界の国々は、難民支援を社会の義務だと考えている。多くの難民を抱える地球の上では、それが「普通の国」だ。

 皮肉なことに、日本は3・11によって、ようやく「普通の国」となった。難民と共に暮らしていく国に。その現実に、私たちはこれからずっと、正面から向き合えるか、どうか。


たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ、54歳。