京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●コラム「暖流」
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。 転げることは0K真宗大谷派僧侶
川村 妙慶
皆さんは、人生の中で一度は生きることに限界を感じたことがあるのではないでしょうか。
「窮すれば通ず」という言葉があります。「窮する」とは行き詰まる、困難に追い詰められて苦しむことですが、その行き詰まることでかえって活路が見いだされるというのがこの言葉の意味です。しかし、師から「『窮すれば転ず、転ずれば通ず』という言葉の方が深いのだよ!」とお教えいただいたことがあります。つまり、人間は転ずるということがなければ、通ずるということがないというのです。 路地に迷いこんでしまい、行き詰まったとします。これが窮するということです。窮してどうにもなりません。そこで引き返そうとするとき、方向転換をしますね。転じてあらゆる事を見ることで、「こんなところに道があったな」と、新たな発見ができるというのです。転じてこそ活路が見いだされるのです。 「病気になった」「失敗した」、すると「もう私は人生終わりなのだ」と壁にぶち当たっただけで終わるのか。そうではなく壁にぶち当たり、次に転げることで「ではどうしたらいいのか? 何か方法はないだろうか」と周りを見ながら、そこから「どう生きたらいいのか?」を探すことができるのです。転げることで「生きる智恵(ちえ)」をいただくことができるのです。 雨の日には雨の日の生き方があります。それなのに、「なんで雨なのよ」と天を責めても雨は降るのです。それを「今日は晴れてほしかった」と思うから苦しいのです。「年は取りたくない」と思うから今が認められないのです。若いなりの生き方。年齢を重ねた中での生き方があるのです。 世の中には避けられないことがあります。そこに閉じこもってブツブツ言うのではなく、ぶち当たった所から振り返り、新たな光を見いだすことができるのです。転げることは大いに結構! 転げて何度も何度も強くもたくましくもなるのですよ。 かわむら みょうけい氏 アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。
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