ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

6人寄ればもんじゅに勝つ

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介


 度重なる冷却装置の停止、制御不能な汚染水の漏洩(ろうえい)…福島第一原発事故は収束などしていない。土地の除染の効果は不確かだ。被曝(ひばく)した人々には、将来の健康が不安な日々が続く。

 この京都に妻と小さな娘を避難させ、自らは仕事を抱えて福島に残る父親が、妻子との久々の再会の場で私に語った。自分たちはこの先どんな病気になろうと何が起ころうと、福島にいたせいだろうか、放射能のせいだろうかと苦しまねばならない。専門家は、それが正しいとか間違いだとか言う。しかし、そんなことはどうでもよい。専門家なら、その苦しみの解決を一緒に考えてほしい、それが専門家ではないですか、と。

 細見周著「熊取六人組〜反原発を貫く研究者たち」(岩波書店)は、そんな専門家が今の日本にもいることを教えてくれる。熊取の京大原子炉研究所で原発の危険性を訴え続けてきた6人の研究者のルポである。彼らの一貫した姿勢と研究内容、栄誉にこだわらない潔さ、それぞれ独自の研究分野を持ちながら保ってきた互いの絆。かつて水俣や反原発にかかわりながら、その後無関心に過ごした自分を省み、私は頭を垂れる。

 彼らの一人、原子力の危険性を訴える小出裕章に、「原子力ムラ」の学者が嘲笑を浴びせる映像をネットで見ることができる。その小出は、事故後の講演で自分の非力を聴衆に陳謝した。今中哲二は、事故後すぐに飯舘村の汚染を綿密に計測する。「危機管理」が「情報管理」となってしまう危険を、これまでの闘いで深く学んでいたからだ。

 今は大学を引退している小林圭二を中心に、六人組は高速増殖炉「もんじゅ」の運転差し止め訴訟を勝利に導いた。「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、6人寄ると「もんじゅ」に勝つのだ。知恵が集まれば、社会を変えることができる。

 3・11後、科学や専門性は社会と切り離せない不確かなものだと、私たちは痛切に知った。熊取六人組の生き方は、その上に立って、揺らぐことがない。


たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ、54歳。