ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

一味

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 先日、1通のメールが寄せられました。「子どもを愛せないと同時に何一つ親らしいことができない。これは、尊敬できない母親を持ったせいでしょうか」と。

 さて、「母」とはどのような存在なのでしょうか。

 私自身は、父を早くに亡くし、母が教員をしながら育ててくれました。ましてやお寺も守りながらということで、それは大変だったと思います。忙しい母の姿を見るだけで、会話はほとんどありませんでした。

 ある日、怒りがこみ上げてきた私は、「外ではすばらしい教員かもしれんが、家では子どもに何もしてくれない母親や!」と責め立てたのです。すると母は、「そうなんや! 何もできん母親なんや。その中、お前はこうして育ってくれた。何もできない母ちゃんを認めてくれた。南無阿弥陀仏」と涙をこぼしました。

 そして母は、夜の街に補導のために出て行きましたが、私はこっそり後をつけてみました。すると、シンナーを吸ってる学生の隣に座り、学生の頭を触りながら「もういいか。気がすんだか?」と声をかけているのです。母は、全ての人間を母親として包み込んでいたのです。

 メールをくださった彼女は「母とはこういうものだ」というイメージを強く持ちすぎているのかもしれません。母という字を書いてください。バランスの取れない字です。母も完璧な人間でなく、不安定の中で生きているものだということを教えてくれるようです。

 如衆水入海一味(にょしゅうしにゅうかいいちみ)(「正信偈(げ)」)

 どんな川の水でも海へと流れ込めば皆一様に塩味となるように、共に同じく救われていく大切ないのちなのです。私たちは、わけへだてもない「一味」の世界に生かされているのです。そういえば、「海」という漢字には「母」という字が含まれていますね。母なる阿弥陀さんがすべてを受け止めてくれるのです。

 今日は母の日。私にとっても実母の七回忌。もう一度、母の姿と言葉に出会っていこうと思っています。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。