ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

8月は死者の月

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介


 この国の八月は、死者の月である。

 広島、長崎、敗戦、集団自決、南の島で飢餓線上をさまよう兵士。そして、盂蘭(うら)盆、送り火、無縁仏…

 古来この国では、死者はいつも私たちの身近にいる。彼岸という名のあの世が、年2回、季節とともにめぐってくる。死者の魂は、湿っぽい夏の夜に蛍火のように飛び交い、幽霊はひっそりと枕元にたたずむ。

 死はいつも、静けさの中にあった。広島も長崎も、音もなく広がるキノコ雲として古いフィルムに刻まれ、くり返しテレビ画面に映し出される。敗戦は、よく晴れた真昼の夏の日、蝉時雨(せみしぐれ)にかき消される古びたラジオの音声だ。お盆、誦経(ずきょう)だけが響き、人々は静かに死者を迎え、見送る。この国では、死者と生者は静かに寄り添いあって、粛々と日々をやり過ごす。

 あの戦争だけで三〇〇万人の、死者の群れ。彼らと私たち生者のこの静かさに比べ、今、この国の指導者たちはかまびすしい。

 国の無策と無謀のために死に追いやられた人々を、謝罪ではなくたたえるのだという。広島と長崎という悲劇を生き延びた人々の、核廃絶の願いを一顧だにせず、沖縄に他国のための軍備を拡張し続ける。福島の原発事故は、放射能汚染水の海洋流出が止まらないが、原発を再稼働し輸出しようとしている。ナチスの手口を学んで憲法を書きかえ、若者を徴兵して戦争ができる国にするという。

 そこまで勝手されても、黙して従順な私たち生者に、もの言われぬ死者たちは、戦争と核兵器に殺された死者たちは、恨めしかろう。口惜しかろう。

 この国の裏側、南米の国々にも「死者の日」がある。そこでは死者と生者が共ににぎやかに飲み食いし、骨を打ち鳴らして踊るという。

 地球温暖化のせいだろうか、この国の夏は、すでに亜熱帯だ。ならばいっそのこと、私たちは従順でおとなしい温帯人でいるのをやめてみたらどうか。この灼熱(しゃくねつ)の八月、死者の月に。


たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ、54歳。