京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●コラム「暖流」
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。 挙足一歩真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
朝夕と涼しくなりましたね。秋の気配を感じると同時に、なんだか「もう秋か」と物寂しくなります。秋は落ち葉をイメージしてしまうのか、心までも落ち込む方が多いようです。
最近寄せられるメールで、「後悔」の思いを寄せてこられる方が多いことに気づかされます。 「まもなく母の四十九日を迎え、急に後悔しています。なぜもっと親孝行できなかったのか」 「なぜ夫(妻)と結婚したのか。もっと時間をかけて付き合えばよかった」逆に「なぜ離婚したのだろう。もっと妻(夫)に優しくしてあげたらよかった」 「なぜ子どもを産まなかったのだろう。この年になって急に寂しくなった」 「なぜ若い時、あんな仕事をしてしまったのだろう」 なぜあの時に・・・という後悔の念を引きずっています。では、なぜ過去を引きずってしまうのでしょうか。 それは今に自信がもてないから、過去の生き方を否定することしかできないのです。 過去の出来事にしがみついていても、将来がよくなることはまずありません。「過去は変えられない。しかし過去の意味を変えることはできる」。これは、師から学んだ言葉です。 過去は大切な出来事です。「なぜあの時に」と言いますが、その時にこれが良いと思ってとった行動なのです。その時はその時の状況で考えたことなのです。否定する必要はないのです。 過去を後悔とうらみで終わるのか。それとも、過去歩いた足跡を未来に明るくつないでいけるかでは大きな違いがあります。 大切なのは、今この一瞬をどう生きたかで私たちの未来は決まります。自分の今の立ち位置がはっきりしてこそ、人生のスタートラインが見えるのです。 「挙足一歩(こそくいっぽ)」 過去は過去として受け入れ、そこから一歩を踏み出しませんか。もう一度ここからやり直しませんか。 かわむら みょうけい氏 アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。
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