ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

洗面

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 皆さんは朝起きてすぐ何をしますか? 私は洗顔をします。洗面ともいいますね。この「洗面」は仏教用語で、広められたのは道元禅師です。洗面は、ただ顔の汚れを取るだけではなく生き方の問題なのです。さて、人間は、「過去を引きずる」という性分を持っています。そのため、朝起きても、昨日の嫌な出来事が頭から離れないという方がおられます。しかし、いくら引きずっても残念ながら取り返せないのが過去です。その時には顔を洗い、心を切り替えましょう。

 『仏説無量寿経』の中に「光顔巍巍(こうげんぎぎ)」という教えの言葉があります。(嘆仏偈=たんぶつげ)

 光顔とは、諸仏のお顔は気高い無量光に輝き、巍巍とは山のようにゆるぎないことです。顔が光り輝くというのはどういうことでしょうか。それは心から湧き起こる感動があるからです。その輝いた表情を何がつくっているかというと、心がつくるのです。心と顔は必ずつながっているのです。

 しかし、心の中に怒りや憎しみがたまっていると厳しい表情になります。いつの間にか笑顔が出なくなります。固くなっていく心を洗ってすっきりし、気持ちを新たにするというのが洗面の大切なことなのです。

 それでもどうしても気持ちがおだやかにならないときには、水道の水がどこから流れてくるのかを想像しませんか?

 水道の栓をひねると当たり前のように水が出ます(中にはセンサーによって、手を出すとすぐに感知して水が出てきます)。これは、水道管が水源までつながっているからこそ、私のところへ時間をかけて届けられているのです。

 欲しいものだけを都合よくいただくことはできません。自分にとってうれしいことや辛いことは、過去の多くのご縁によって時間をかけて私たちに届けられているのです。

 水で顔を洗いながら、恵みの水に感謝しながら、すべてを慶ぶ人となりませんか? その気持ちがいい笑顔をつくるのですよ。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。