ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

人生列車

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 国民的代表作家といわれた吉川英治さんの作品に、「忘れ残りの記」という自叙伝があります。50年以上前のことですが、私たちの人生を列車でたとえられているのです。

 東京から名古屋まで特急で6、7時間かかった時代、東京を出発した時は、何も覚えがない。横浜を通り過ぎる時も気づかなかった。それで、丹那トンネルを過ぎる頃、ようやく薄目を開ける。静岡あたりで急に「汽車に乗っているんだなあ」と気がつく。そして名古屋に到着する。当時名古屋で汽車は5分間停車しました。ずっと東京から乗っていた乗客の一人が、「この汽車はいったいどこへ行くのだ」と慌てだす。もし、そういう乗客と一緒に乗り合わせたら、おそらくみんな笑うだろうということを書いているのです。

 さて、東京を出るというのは、私たちが誕生した時。横浜はまだ幼子。丹那トンネルを過ぎる頃は、やっと世の中が見えるようになった幼児期でしょう。静岡あたりは、青年から壮年の間です。ここにきて自分の一生は何なのかを考えるのです。そして名古屋の5分間停車、これはもう老年期。結局、自分の人生は何だったのかという漠然とした思いを持ち、あっという間に人生の幕を閉じてしまうのです。こんな寂しいことはありません。

 私たちは自分の思いを通すことに必死になっています。それが空振りに終わってしまうと「私の人生は何だったの?」とその場に立ちすくむのです。一度改札に入った切符の払い戻しはできません。私たちの人生もやり直しがきかないのです。だったら今まで歩んだ人生を大切に受け止め、「これが私の人生でした。本当にありがとうございました」。最期をうなずかせていただきませんか?うなずくというのは、良い事も悪い事もすべてをひきうけて、あとは阿弥陀さまにおまかせした人生を送るということなのです。そうすれば安心して終点の「お浄土駅」に降りることができるのです。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。