ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

戦争を知らない子孫(こまご)たち

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介




 「戦争を知らない子供たち」という歌がある。「戦争が終わって僕等は生まれた/戦争を知らずに僕等は育った」と始まる戦後フォークの代表的な曲だ。

 発表は1971年、世界的に反戦運動が盛り上がり、日本は万国博が成功して高度成長の絶頂にあり、若者たちは「戦争を知らない」ことに胸を張っていた。

 同じ71年、ベトナム戦争激化のきっかけであるトンキン湾事件が、アメリカの捏造(ねつぞう)であったことが発覚した。かつての日本の満州事変と同じやり方である。後年、イラク戦争でもアメリカが大量破壊兵器の存在を喧伝したことに似ている。昔も今も、戦争のはじまりには嘘(うそ)がつきものだ。

 この歌の翌年、未だ毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)の激しい政治家、田中角栄によって日中国交回復が行われた。これによってその後の日本は発展できたのだが、今、両国はお互い子どもっぽい陣地取りに興じている。当時の「棚上げ」という大人の交渉は、「平和ぼけ」した今の政治家たちには望めないのだろう。

 今、終戦後に生まれた「戦争を知らない子どもたち」の、その子どもである「戦争を知らない孫たち」がすでに成人し、ひ孫すらいても不思議はない時代になった。戦禍の時代であった二〇世紀の後半を、戦争を知らずに三世代が平和に暮らせた国は珍しいだろう。

 しかし、「売家と唐様で書く三代目」と諺(ことわざ)にあるように、物事を三代続けるのは何事につけ難しい。今や、「戦争を知りすぎた」祖父たちを尊敬する孫もいる。私たち「戦争を知らない子孫(こまご)たち」が、再び胸を張れる日はくるだろうか。

 この歌には作詞の北山修による続編がある。「私たちは被害者の子どもで/加害者の子どもなんだね/私たちも殺されたけど/私たちも殺したのですね」。作曲は「花嫁」で有名な京都の故・坂庭省悟。バブル経済に突入していく当時の日本で、この歌─戦争を知らない子供たち'83─はあまり知られなかった。

 リフレインの最後は、こう終わる。「私の歴史は/始まったばかりです」



たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ、54歳。