ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

揺れる

立命館大教授 津止正敏



 帰省ラッシュを避けて故郷の母を見舞ってきた。母はいま要介護5、生活の全てを介護士の援助を得ながら施設で暮らしている。ちょうど2年前の今頃のこと、それまでも介護士の介助でやっと食事を取っていた母の食が、極端に細くなった。スプーン一杯分を口にいれるのも困難になった。食事をのどに引っ掛けひどく咳(せ)き込(こ)むことも頻繁になった。肺炎にもなった。

 施設や掛かり付け医からは胃ろうを勧められたが少し躊躇(ちゅうちょ)した。それならと鼻管チューブからの栄養補給を施された。鼻管チューブの異物感が大きいのか、母は動かぬ手を管に持っていこうとしたり顔をゆがめたり。本人もそうだが傍(そば)に付き添う家族の気持ちも落ち着かなかった。それから程無くして医師と面談した。「お母様は心臓もしっかりしているので胃ろうがあっていると思いますよ」。不自由はあっても、体力も残り家族との意思疎通もまだまだ可能なことから医師の判断を受け入れた。

 それ以降、見舞いのたびに日に三度の食事を胃ろうに頼らねばならない母を間近にする。そのたびに心がざわめく。故郷で母に寄り添っている妹たちにすれば私以上に毎日が葛藤に違いない、と思えば迷いを口にすることも憚(はばか)れる。「本当にこれでよかったのかな」。

 そんな折、故郷の地元紙を捲(めく)っていると「母といる時間」という記事が目に留まった。著名な評論家芹沢俊介さんによるものだ。見出しは「胃ろうで自らを生きる」とあった。後悔にも似た苦い感情にとらわれることもあるという。でも、だ。母は胃ろうによって生かされている、この得がたい幸いから目をそむけることは、母を、ひいては人間を粗末に扱うことだ。芹沢さんはこの日のコラムをこう締めていた。

 ああみんなそうなんだ。ひとりじゃないんだ。「これでよかったのだ」という解があるようなものではない。葛藤の中をみんな煩悶(はんもん)しながら今日を生きているのだ。揺れ惑うことでより深まる思いもあるのだ。


つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。