ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

センチメンタル・ジャニー

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介




 最近、かつて自分がいた土地を無性に訪ねたくなる。まだ(見かけと違って)還暦にもならないのに隠居さんみたいだなと思うが、旅への誘惑がやみがたい。

 生まれた島には記憶がない。3歳までいたと聞いている雪国の思い出は、現実だったのかどうかわからない。高校まで暮らした地方都市とは、疎遠なままだ。

 はるか昔、海の武将たち、水軍の島は、敗戦後、造船によって日本の発展を支えてきたが、今は見る影もない。大きな病院は島にひとつしかないので、ここが自分の生まれたところだとわかる。目の前にしてみるが、実感がわかない。

 かつて住んだ雪国に、秘湯と呼ばれる温泉がある。紅葉の秋だというのに閑散としていて、川の底から湧く露天風呂を独り占めできる。ここに両親に連れられて来たのは、いつだったか。雪の間から湯気が立つ情景だけが記憶に残っている。

 そこにかつてウラン鉱山があった。その峠の茶屋に、ウランの原石が置かれていた。粗末な木箱の中で、その石は未来を夢見ているかのように青く光っていた。

 思春期に遊んだ街角は、どこも同じ地方都市の風景だ。人々で賑(にぎ)わっていた商店街は、ひっそりとシャッターを閉めている。路地に老人介護の車が出入りし、下校姿の子どもたちの小さな集団が走り抜けていく。

 半世紀はまるで夢のようだな、と思う。敗戦から立ち直ったばかりの島に生まれ、静かな雪の里に育まれ、高度成長の真っただ中で沸騰する地方都市に青春を過ごした。そして、今、熱のない昼下がりの陽光のような時代に歳を重ねている。

 だが、どこからともなくやってくるこの焦燥はなんだろう。あの美しかったウラン原石から、原発事故という悲劇が生まれた。街々は、いつからどこもかしこも同じ顔になってしまったのか。あの子どもたちの小さな集団は、これからどこへ向かっていくのだろう。

 旅にあって、人の生きる社会のこの不確かさ、果てしもなさに、しばし立ちつくしてしまうのである。



たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ、54歳。