ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

人間関係

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 「皆と仲良くしたい」。しかし、皆と付き合うと「疲れてしまう、一人になりたい」。一方はこうしたい、しかし、もう一方ではそうではない自分がある。こんな経験はありませんか?

 私たちは、人間関係の中を生きなければなりません。その人間関係によって私たちはさまざまな苦悩を抱え込んでしまいます。

 さて、ヤマアラシという動物をご存じでしょうか。背中あたりに針のような硬い毛を持つ生き物です。普段、針は閉じているのですが、身の危険を感じた時、反射的に針は自分の身を守るために攻撃してきます。

 私たちにも似ている所がないでしょうか。一人ではさみしくて一緒に生きていく仲間を求めます。意気投合した時には仲良くしていることができます。しかし、自分を避難しようものなら、「この人は仲間ではない」と感じて反射的に自分を守るための目に見えない針が全身に出てくるのです。その針で仲間を傷つけ、相手にも針があるので、自分も傷つく。

 すると私たちは次第に相手と距離を置くようになるのです。本当は通じ合いたいのに、なれない。しかし、離れすぎるとさみしくなって近づき、近づきすぎるとまた傷つけ合って、距離を置くのです。相手との微妙な距離の取り方がよくわからず、うろうろしてしまうのです。

 では一体どうすればよいのでしょうか。それは、私にも「都合よく人を攻撃する針があるのだということを、しっかりと自覚していく」ということなのです。私たちは相手の針だけをみて、「こんなに傷ついた」と被害者の中でしか自分を置けません。親鸞聖人はこんな私たちのことを「無明」とおっしゃいました。見えているようで見えてないということです。

 自分の本当のすがたを知りましょう。そこから相手とともにほどよい距離を置きながら生きていくことができるのです。相手に向かっていくのではなく、尊敬しあいお互いに寄り添える関係を持ちたいですね。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。