ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

認知症という恵み

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介




 昨年暮れ、母が亡くなった。十数年前から認知症を患い、郷里からひきとっていた。郷里といっても、西の鄙(ひな)に江戸から嫁いで、最後まで東京は亀戸の下町育ち意識が抜けなかった。嫁ぎ先の地名や京都と聞いても反応せず、亀戸と聞くと表情がやわらいだ。

 当初はご多分にもれず、物が無くなった、盗(と)られたと言いたて、夜叉(やしゃ)の顔をして介護者を叩(たた)き、お金を隠しては、またそれを忘れて盗られたとの繰り返し。どこまで続くこのぬかるみぞ、というのが正直介護者たちの実感であったろう。時に正気に戻り「私頭がおかしくなっちゃったの、怖い」と信頼するケアマネに漏らして泣いたという。

 骨折し車椅子生活となってから次第に言葉を失っていき、この数年は赤ん坊言葉でニコニコしていることが多かった。地方の有力開業医で放蕩(ほうとう)者の父に苦労した生活のためか、他人に気位高かったが、それがお地蔵さんのごとき今と入り交じり、介護者にも不思議と人気があり大切にされた。

 一年前、偶然胃がんがみつかった。何事もなく過ぎていたが、暮れになって急に食事も水も通らなくなった。積極的な延命策はなく、少量の水分のみでそれから三週間、最後まで目の力もあり笑いもしながら徐々に衰弱し、逝った。連絡を受けた私が到着して3分後、安らかな大往生であった。

 重度の精神障がい者でもそうであるが、認知症の人も、末期のがんの痛みを感じず、死の恐怖に惑わされることがない。認知症が老化への恵み、死への適応とも言われるゆえんである。

 しかし、その境地に達するまでには、やっかいな峠がいくつもある。周囲の忍耐と余裕、時間が必要である。それができるだけの社会の仕組みもいる。ところが今は、認知症の予防・早期発見ばかりが叫ばれ、医療により克服すべきものだとして誰も疑わない。だが、医療は、老い衰えることには勝てないのだ。

 最期の母に、がんや認知症という病の苦しみはなかったろう。その死は、まぎれもなく「老衰」であった。



たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ、54歳。