ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「殺すな!」をふたたび

ACT―K主宰・精神科医 高木俊介




 英語で高校や大学の2年生のことをsophomoreという。一説では、ギリシャ語のsophos(賢い)とmoros(バカ)を合わせた「かしこバカ」という意味らしい。1年生は初々しいフレッシュマンだが、2年になるとなまじ知恵がつくために愚かなことをしでかすのだ。

 私たちは今、ネットで検索すれば、何でもすぐに知ることのできる時代にいる。何かニュースがあれば、皆が一斉にネットを調べ、大量の情報を入手し議論する。ひとつの情報から手軽な主張が生まれ、反対者には罵詈(ばり)雑言が投げつけられる。ネット社会では、誰もがなまじっかの知恵をつけた「かしこバカ」の2年生となる。

 今回のイスラム国による人質事件で、ネットで交わされるさまざまな意見に触れ、政治・宗教・文化が複雑に絡んだ中東の歴史は、私たち日本人には一筋縄では理解できないことを痛感した。背景の国際政治も複雑だ。そのことを知ろうとするのは大切だが、断片的な情報を寄せ集めて理解できるものではない。なのに多くの人が、人質の命そのものよりも、現政権の中東政策がどうであるか、テロの要求に応じることがどんな結果をもたらすか、などの議論に熱中した。

 そこでは「殺すな!」という素朴な声は、無知の証明であるかのごとく無視される。ごく当たり前の素朴な感情が、寄せ集められただけの情報と知識に圧倒され、かき消されたのである。

 かつてベトナム戦争の時代、政治的対立を超えて市民が集まって戦争に反対した。そこで放たれた言葉が「殺すな!」であった。これは、岡本太郎の筆によって世界に発信された。

 いつの時代にも、大切なのは「殺すな!」という一事である。それを現実にするために専門家がおり、政治家はその結果に責任を負う。だから私たち市民は、今の目の前のこの命が大切だという自然の情、惻隠(そくいん)の情からもの言えばよいのだと、なぜ自信をもって言えない世になったのだろう。

 ようやく2年生になったばかりの私たちに、卒業ははるかに遠い。



たかぎ・しゅんすけ氏
2つの病院で約20年勤務後、2004年、京都市中京区にACT-Kを設立。広島県生まれ、54歳。