ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

「忙しい」という自慢

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



 「本日はお忙しい中、ようこそお越しくださいました」という挨拶(あいさつ)が当たり前になっています。また、「忙しくてー!」という言葉を日常茶飯事のように使われる方がおられます。忙しくするということは、悪いことなのでしょうか。商売をしている人にとってはありがたいことですね。気持ちに張りが出て充実感もあります。収入が増え、周りからも評価してもらえることにもなります。また、忙しくしていることで、煩わしいことや面倒なことを考えなくて済むという人もおられます。

 安田理深師(真宗大谷派の僧侶)は、「忙しいということは、怠けている証拠だ」とおっしゃいました。どういうことでしょうか? 忙しいと自分のことで精いっぱいになり、ゆとりが持てなくなります。目の前の人とゆっくり向き合う余裕ももてなくなるのです。すると相手に対する配慮ができなくなり、さらには、想像する力も持てなくなり人間らしさを亡くしてしまうのです。それが「心」を「亡くす」と書いて「忙しい」と書くようになったのかもしれません。

 安田師がおっしゃった「怠ける」というのは「おこたる」という意味もあるのです。

 「忙しい、忙しい」といって、気がついたら「こんな年になっていた。わたしの人生は一体何だったのか」と大切な自分の人生と向き合うことに怠ってしまう。最後は虚(むな)しさが襲ってくるのです。これほど寂しいことはありません。「忙しい!」と言わずにおれないというのは、「あなたと私は違うのよ」という自慢をしたいのでしょう。忙しさの中に酔い、ただ時間に流されてしまうと、私自身の生きる意味を問うことができなくなります。それが怠けている証拠なのでしょう。

 無くしたものは、探せばなんとか見つかることもあるでしょう。しかし亡くしたものはもう見つかりません。この冬の時期にじっくり人生を深め、春になるころにもう一度、心の芽を出しませんか?


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。