京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
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●コラム「暖流」
「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。 「信じる」ということ真宗大谷派僧侶 川村 妙慶
突然ですが「信じる」ってどういうことでしょうか。「鰯の頭も信心から」という諺(ことわざ)もあるように、なんでも「ありがたや、ありがたや」と頼んでいれば、幸せがくるのでしょうか。
私がアナウンサーの頃、あるご家庭が100ほどの仏像を安置しているということで取材しました。家主は「私は仏像に日々の幸せを願っています。信心深いですからね」と。それは信心深いのではなく「欲深い」のです。欲望を叶(かな)えるために、仏像を集めているに過ぎません。 ある人は「私は信心を持つためにお墓参りをかかせません」とおっしゃいます。仏事としてとても大切なことですが、信心のある人は、間違っても自分から言いません。 仏教というものは、たくさん供養するとか、しないという外見上の問題ではなく、たった一つでいい、本当の信心を獲得するということが大切だと教えてくれます。 信心とは、確実なものを信じるということです。例えば、天気予報で「明日が雨だ」と言われても、それは確実なものではありませんね。当日、雨を目の当たりにしてこそ確実なものとなり、信じることができるのです。 自然災害を目の当たりに、物の豊かさだけでは幸せにはならないということがわかってきました。むしろ、「心の依(よ)り所」をもとめてやまない人がふえてきました。それは、貧しかろうが豊かであろうが、そんなことよりも、この人生に生きる意味があるのか? 空(むな)しい人生で終わりたくないという悲鳴が聞こえてくるようです。その、目の前にある「事実」に向き合い「むなしさ」を本当に超えてゆける道が「信心」なのです。 あなたにとって今日は嬉(うれ)しいこと、逆に受け入れられない辛いこともあったでしょう。辛いですが「今、このままの事実をいただく」ことで、明日からの私に大きな希望がいただけるのではないでしょうか。 かわむら みょうけい氏 アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。
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