ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

娘の出産

立命館大教授 津止正敏



 娘に初めての子が生まれた。一人娘なので、私にも初めての孫になる。予定日よりちょうど1週間早い3月6日の早朝に母子ともに健康に生まれてくれた。2980グラムの男の子だった。

 前日に、おなかが張るからと妻の車で病院に向かってそのまま入院となった。陣痛も始まったが、生まれるにはまだ時間がかかるとのことだった。私は翌々日に迫った男性介護ネットのイベント作業に追われて、夜遅くになって娘を見舞った。ほぼ5分おきにくる陣痛に娘は呻(うめ)いたり、痛みが過ぎれば笑顔もあったりと忙しかった。娘の夫君に後を託して私たちは自宅で知らせを待つことにした。

 「いま分娩(ぶんべん)室に入りました3:39」「産まれたっぽいです4:48」「母子ともに元気ですよ6:24」。実況中継のようなラインメールもあった。溢(あふ)れんばかりの笑顔の親子3人の写真も付いていた。拍子抜けする程に安産だった。

 思えば、娘が生まれたのはもう27年も前の4月、菜の花が眩(まぶ)しい時だった。逆子のために妻は事前入院で備えていた。娘とは逆に予定日より10日以上過ぎたが、破水があって三十数時間たっても妻のおなかから出てこなかった。私は当初出産に立ち会う予定はなかったのだが、妻に請われて急きょ分娩室に入ることになった。突然関係者の出入りが激しくなった。一人のドクターが妻のおなかを押し出すかのように分娩台の上にいた。何かが起こるのではないか。ドクターや助産師、数人がかりの処置でやっと生まれてきた。

 助産師さんが産まれたばかりの娘の体を洗いながら「チアノーゼだね」と話していたのを聞いて、つい先ほどの分娩室でのつらい出産場面も重なって不安になった。後日の母子手帳にあった「仮死」の文字は、すっかり元気になった後で知ったことだった。それでも人一倍健康に育ってくれた。

 結局、子どもは一人だけだったが、その娘がもう親になった。瞬く間に過ぎていった27年。あの頃のアルバムを手にしながら娘と孫を見比べている。



つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。