ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

ひとりの拍手は響かない

立命館大教授 津止正敏



 先月末、インターネットに流れたニュースを見て心が弾んだ。「だれの子どももころさせない」。子育て中のママたちが“渋谷ジャック”した、というのだ。だれの子どもも―そうだ。うちの子も隣の子も遠く離れた地球の裏側で育つ子も、誰一人として殺させてたまるものか。戦争しない/させないと決意したママたちの勇気ある行動がうねりを起こしている。

 ママたちに重なるような声が介護の世界にもある。「死なないで!殺さないで!」―これは、認知症の人と家族の会が、「いま介護でいちばんつらいあなたへ」届けようとつづった渾身(こんしん)のメッセージだ(2009年)。このつらい社会への警鐘はその役割を終えるどころかなお一層声を大にしなければならない状況が今も続いている。

 滋賀や奈良、大阪、岐阜、熊本などで起きた介護にまつわる痛ましい事件報道を今年に入ってからも幾つも目にしている。『介護殺人』(2005年)という著書のある湯原悦子さんの直近の研究によれば、介護に関係する親族による殺害事件が過去17年間で少なくとも672件起きているという。動機の大半は、「介護疲れ」「将来への悲観」といい、しかもその多くが精いっぱいの介護の果てに引き起こされているという。そうであれば、なぜそうなったのか、回避する道はなかったのか。それは何だったのか。問われていることは、罪を犯した人の個人的問題という以上に介護する人/される人の暮らしを破綻させ命を奪うことへと誘導する社会の構造ではないのか、ということになる。

 「死なないで! 殺さないで!」という介護する家族会のメッセージは、いまあたかも「だれの子どももころさせない」というママたちの声に合流し、さらに拡散されているようだ。人の命をあまりに粗末に扱う者たちへの異議申し立てとあらがいの決意に満ちた声と行動だ。

 ひとりの拍手は響かないが、千人万人と束ねるとやがて万雷の拍手で地球を包むムーブメントになる。猛暑が続くこの夏の日、街のいたる所に幾百万の小さなセミの声が響く。



つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。