ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

秋になると寂しい

真宗大谷派僧侶
川村 妙慶



  「秋の日はつるべ落とし」という言葉があります。つるべが井戸にストンと落ちていくように、あっという間に日が沈むのが秋です。すると移り行く時の流れから気持ち的にも落ち込む方も多いようです。人間は季節の移り変わりで寂しさを感じるのでしょうか?

 ある本の一文に「夏は本能で生きる。なぜなら裸になり開放的になるから。しかし、秋はそれがなくなり、理知的になって寂しく感じる」とありました。

 たしかに夏は四季の中でも活発感が出ます。本能で生きようとするのでしょう。そんな人間も気温の変化とともに服を身にまといます。すると理性という服に包まれて物事を冷静に考えるようになっていくのでしょうか。

 さて、人間には「煩悩」があります。煩悩とは、身と心をまどわす欲望や怒りのことです。きっかけさえあれば、どこで煩悩が悪さをするかわかりません。ですから、立場をわきまえるという意味で、例えば制服を着るのは納得ですね。ではその煩悩は規制したら、抑えられるのでしょうか? 親鸞聖人は「煩悩を取ることを目的とするのではなく、むしろ煩悩の中にひそむ人間の本質を見る」ことを大切にされました。

 人間には二つの生き方があります。一つは「自我でもって生きる」ということです。自分の思いを押し通そうとし、他者と戦うことしか考えません。しかし、自己を主張すればするほど孤立することになるのです。

 もう一つは、「いのちを主として生きる」ということです。そこには自我の主張はなく、「尊いご縁の中にこの私も包まれて生きている」とすべての存在に頭の下がった姿があるのです。自分の思い通りには生きられない。この大きないのちに包まれて私も生きていることが知らされたら、人はもっと豊かな心で生きることができるのです。

 寂しくなったら寂しいままに生きたらいいのです。そんなあなたを、阿弥陀(あみだ)さまの慈悲が包んでくださいますよ。


かわむら みょうけい氏
アナウンサー、正念寺(上京区)坊守。メールで悩み相談受け付け。北九州市出身。46歳。