ともに生きる・福祉のページ
京都新聞掲載「ともに生きる」「福祉のページ」の記事をネット上で紹介するコーナーです。
コラム「暖流」

「ともに生きる」をテーマにした福祉コラムです。

羅針盤

立命館大教授 津止正敏



 羅針盤について記そうと思う。

 中国ではすでに3世紀ころから磁力を持った針を木片に埋め込んだ方位磁針(羅針盤)のようなものが使われていたそうだ。この木片を水に浮かべることで、羅針盤とほぼ同様の機能を実現していたといわれている。この技術はその後世界に広がり、ルネサンス期の船舶工学など諸科学の飛躍的な発展の中で劇的に改良された。それによって航海術は著しく発達し、新航路の開拓が相次いで、15世紀にはじまる「大航海時代」を迎えたといわれている。方位磁針(羅針盤)がなければコロンブスやバスコ・ダ・ガマたち大航海時代の英雄たちのあの大発見もなかったに違いない。幾つもの小さな世界を一挙にひとつながりにしたのを支えた羅針盤の始まりが小さな針を埋め込んだ木片だと思えば、気の遠くなるような先人たちの知恵の更新に驚愕(きょうがく)する。目まいがするような気もする。

 さて、私たちの目の前にあるもう一つの「大」の付く時代に話を移してみよう。もちろん「大介護時代」だが、この言葉は樋口恵子さんの著書(『大介護時代を生きる』2012年)に登場する。なぜ「大」が付くのか。個別家族という小さな世界に封印されてきた「介護」がいよいよ介護社会という大きな世界に向かうから、に違いない。いまだ私たちがその完成形を見たことがない新しい介護の世界を発見しようというから、に違いない。

 だからこそ介護の「羅針盤」だ。「大介護時代」にはそれにふさわしい介護の方位磁針(羅針盤)が必要なのだ。そうでなければ、いままさに介護に船出せんとする私たちは暗闇の荒海に翻弄(ほんろう)されただただ漂流・難破する筏(いかだ)船のような運命を甘受するしかないに違いない。いまこの時代の介護の羅針盤は木片に針を浮かべた程度の粗末なものでしかないのかもしれないが、現代科学の粋を集めた精巧な羅針盤づくり、この時代を生きる私たちに課せられた一大テーマである。



つどめ・まさとし氏
1953年、鹿児島県生まれ。立命館大学教授。大学院社会学研究科修士課程修了。
京都市社会福祉協議会(地域福祉部長、ボランティア情報センター長)を経て、2001年から現職(立命館大産業社会学部教授)。2009年3月に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を発足させ、事務局長を務める。著書に『ケアメンを生きる−男性介護者100万人へのエール−』『男性介護者白書―家族介護者支援への提言−』、『ボランティアの臨床社会学―あいまいさに潜む「未来」−』、『子育てサークル共同のチカラ−当事者性と地域福祉の視点から−』など。